1月1日に起こったこと

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2024年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日は、心が落ち着いたので1月1日に、自分の身に起こったことを記録として書いていきたいと思います。

私たち家族は、昨年1月31日の早朝、夫の故郷である新潟県の上越市の実家に出発しました。

実家に着いたのは、31日の午後2時ごろでした。

久しぶりの義母との再会に、家族で喜んでおりました。
その日は、ゆっくりと義母が用意してくれたご馳走を食べながら、楽しい時間を過ごしていました。

そして元旦。

みんなで新年の挨拶をし、朝ご飯を食べてから、義母とは別行動で軽くドライブに行こうということに。


まずは近くのペットセンターにいきたいと娘が言うので、そこに向かいましたがさすがにお休みで、夫が行ってみたい山寺があると言うことだったので、そこに向かいました。

そこは、岩殿山明静院(いわどのさん みょうじょういん)という山の上にあるお寺。
新潟県では国宝第一号に指定された大日如来像が安置されているというお寺で、上杉謙信公のお墓があります。

なんとも趣のある山寺でした。
この画像の階段を登っていくと、諏訪神社があり、大きなさざれ石が奥に祀られています。

私は、このさざれ石のところに入った途端に体がとても熱くなったのを感じて、パワーをいただきました。

そしてこの後、一緒に連れて行ったワンコを走らせたいと言うことで公園というか原っぱみたいな(なんか人がいなくて寂れていましたが。w)そこで少し遊びました。

この後、夫が海岸沿いの浜辺に向かい、10分ほど散策をしました。
その海岸付近は、私たちがいた時刻から1時間後に、地震と津波によって道路が寸断され、通行できなくなってしまいました。

私たちは海岸で遊んだ後、夕飯の買い物にと車で上越市内のナルスというスーパーに向かうはずが、夫が忘れて実家付近まで戻っていました。

改めてナルスに向かい、車に夫と愛犬を待たせ、店内に入り買い物カゴを手に取った直後でした。

ゴゴゴという音がなったかどうか、記憶がありませんが、地面が前後左右に大きく揺れ始め、最初の揺れでは何か起こっているのかわかりませんでした。
スーパーの入り口付近を見ると、お店の四角いはずの入口のフレームが、揺れに合わせて平行四辺形に見えて、建物と地面の揺れの大きさがわかりました。

揺れはさらに大きくなり、そこで大きな地震だと認識ができて、娘の手を引っ張って、建物の外にバランスをようやくとりながら出ました。

入口付近にいたことで、外に出ることはできたけど店内奥深くにいたら、きっと動けなかったと思います。

建物が崩れたら?という恐怖と、地面が割れたら?という恐怖。
私の中で、時が止まったように感じて本当に怖かったです。

周囲の音は、揺れている間なんとも表現しにくいのですが「シャーーーーーー」とか「コォォォォォォ」と言う音がしていたように感じました。

建物の外に出た時、買い物客のおばあちゃんと娘が手を繋いで一緒に出ました。
上からものが落ちてこない場所に出て、そこで三人で固まっていました。

揺れている間、少しして駐車場の夫の車を見ると、車がバウンドしてとても動ける状態ではないことがわかりました。

周りの車も同様でした。

揺れが収まってから、一緒にいたおばあちゃんと、落ち着きましょう。
とりあえずおさまりましたね、と声をかけながら、無事を確認して別れました。

大きな揺れのせいなのか、直後は腰が痛くなってしまいました。

当然のことながら、買い物どころではありません。
携帯で地震速報を確認すると、震源地 能登で大地震発生。
石川県 震度7というニュース。

私の生まれた金沢も、かなり揺れていてとにかくショックが重なります。
一番初めに心に浮かんだのは「一体何が起こったの?」でした。

すぐに義母の家に向かいましたが、電話をしたら同じナルスにまだいるということで再度向かいますが、もう車で帰るので家で落ち合おうということに。

顔を見るまでは本当に不安でしたが、どこにも怪我なく安心しました。

義母の家に戻ると、火災報知器が落ち、飾ってあった人形がガラスケースの中で大きくずれ、電気の傘は揺れて外れていました。

一番怖かったのは、台所に行くと重い冷蔵庫が40センチほど移動していました。
倒れていなかったことが幸いでした。

義母が一人で家にいなくてよかった。。。。と思いました。

実家は近くに川が流れています。
川の様子を見に行くと、水位は40センチほど上がっていて津波が到達している影響で逆流しています。

この地区の班長さんも見に来ていて、こんな逆流しているのは初めて見たと話していて、避難したほうがいいんじゃないかということで、避難所ではなく川から離れたスーパーの駐車場に車で移動しました。

1時間ほどそこでニュースを聞きながら待機していましたが、落ち着いてきたようだったので、実家に戻りました。

幸いなことに、ガスも電気も大丈夫だったので暖を取ることができ、テレビをつけてニュースを見守りながらみんなで過ごしました。
テレビでは、盛んに避難を呼びかけていましたが、落ち着いて過ごそうということで、あるもので夕飯を食べ、眠ることができました。

私たちはそんな時間を過ごすことができたけど、その瞬間にも倒壊した建物の下敷きになってしまっている人や、家やご家族を失った方、亡くなった方がいることを想うと、心が痛くて仕方がありませんでした。

そして翌朝、朝を迎えられるってこんなにすごいことなのか、としみじみと想いました。
義母と近くの物件を探す約束をして、帰路につきました。

この体験を通じて、防災の意識を高め、ちゃんと行動に表すことの大切さを感じました。

ただ、悪いことばかりではなくいいこともありました。
義父が亡くなり、一人になってしまった義母。
私たちの近くに住むことに、あまり乗り氣ではなかったのですが、この経験のおかげで、私たちの近くに住むことを考えてくれるということに。

私たち家族も、それはそれはもう嬉しくて思わず「ヤッター!」と言ってしまいました。

今回の大地震、上越市は震度5強でした。
この揺れを体感することによって、命あってのことですが得られたものは私にとってとても大きかったです。

この大地震で亡くなられた方、被災した方に心からお悔やみと1日も早い救出と日常に戻れるようにお祈りしています。

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